【基調講演】第33回「家庭教育における「親」とは?」

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これまで、ユニグラウンドフォーラムでは、家庭における教育の在り方など様々な問題について皆様と共に 考えてまいりました。

総括いたしますと山積(さんせき)する社会問題解決の糸口として改めて、幼い頃からの家庭教育の重要性について再確認する結果となりました。

ところで、皆様はかつてインドの山奥にオオカミに育てられた姉妹がいたことをご存知でしょうか?
発見された当時、この姉妹は4つ足で移動しオオカミと同じ様に振る舞ったそうです
そして、発見されてからはイギリスの宣教師によって人間としての教育を受けながら育てられた様なのですが、言葉も50語程しか獲得出来ずその他のオオカミと同じような寿命でしか生きられなかったという事です。
これは、人間として生まれても幼い頃に人間として育てられなければ、人間らしく成長は出来ない ということを物語るエピソードです。

17世紀のドイツの哲学者カントは『教育学講義』において「人間が人間となることができるのは、教育によってである」と述べています。

また、フランスで活躍したジャン=ジャック・ルソーは「植物は耕作によりつくられ、人間は教育によってつくられる」と述べました。

そしてまた現代においては日常的に「子どもは親の鏡」「親は人生最初の教師」などと言い育てる親の人間性が極めて重要とされています。

昨今では、半数以上を占める親が子育てにより、自分の自由な時間がなくなることを悩みの種と思っているという調査結果が発表されました。
子育ては子どもを育てるという一方通行的なものでは無く、親も成長していける機会なのだという認識も薄れているようです。

さらに、核家族化が進み先人の子育ての知恵というようなものが受け継がれていないケースも増えているため不安を解消するため収拾した情報に翻弄され、かえって戸惑い神経質になっているという若い世代の親もみうけられます。

家庭においては親が子を育てていく訳ですが、その育て方が大いに問題になってくる訳です。
そして、この親という存在も親になるまでは子として親に育てられ なければならず、そのまた親もかつては子として親に育てられという何処まで行っても親という存在から切り離して考える事はできないのです。

では、子を教育する立場の「親」とは、一体どういった存在なのか。

教育を行う以前の問題として「親とは」ということを共通認識として明確にしておく必要が在るのではないでしょうか?

そこで、共通認識としての「親」という存在はどういったものになるのか。

親になるには、まず一人の人間として、倫理・道徳の規範をもって知識を獲得し情操的にも安定して物事に意欲的な人格者として成長します。
そして、一人の個人として成長した後には伴侶と出会い、結婚し家族となり結ばれ子を授かり喜びをもって出産の準備をします。

子が誕生し、無条件の愛を注ぎながら子が家庭人としての資質をもった人格者になれるよう成長へ導き支えてゆく。
このような事がいつの時代も変わらない、おおよそ 万人が認める、本来の「親」の姿ではなかったでしょうか?

しかしながら、価値観の多様化する現代では親ということについて今一度考えてみなければならないようです。

さて、今回のユニグラウンドでは皆様の考える親に求められる資質とはどの様なものでしょうか?ということです。
そして、なぜそのような見解に至ったのかご意見の根拠についてもお聞かせいただけるとありがたいです。
どうぞ自由にご発言 よろしくお願いいたします。